はじめまして。GenKanのデータアナリストとして工場の原価分析を行っております難波圭佑と申します。よろしくお願いいたします。
今や製造業の現場では一般的となっている原価計算ですが、これは1900年頃より、アメリカなど海外の国から日本にもたらされたものでした。
そしてその後、日本の原価計算は引き続き海外の理論を取り入れつつも、日本固有の実務・経営環境に合わせて独自に発展していきました。
高度経済成長期以降、日本の製造業の強さは世界中から注目を浴びるようになりましたが、その強さを支えた要因の一つとしてこの日本独自の原価計算の発展があると言われています。
ではその日本独自の原価計算はどのようにして発展してきたのでしょうか?そのことについて書かれているのが、1890年代後半~2000年までの日本における原価計算の歴史をまとめた本である『原価計算の導入と発展』です。
本記事では、この本の概要をまとめていきます。この本自体読み物としても割と面白いので気になった方はぜひ読んでみてください。
この本の説明
1890年代後半~2000年までの日本における原価計算について、
- 外来の原価計算システムがどのようにして日本に紹介されたか(紹介・認知)
- それらのシステムが日本においてどう受け入れようとされたか(導入・受容)
- それらのシステムに対して日本の実務や経営環境、会計制度がどう適応したか(積極的適応)
の3点について、実務界と実務界両方の歴史をまとめた本です。
目次
- 第I部 序論
- 第1章 わが国の原価計算の導入と発展に関する研究課題
- 第2章 原価計算に関する時代背景
- 第Ⅱ部 前史ー戦前・戦中の原価計算の動向
- 第3章 原価管理思考の萌芽(1)
- 第4章 原価管理思考の萌芽(2)
- 第Ⅲ部 戦後の標準原価計算の動向をめぐる諸論点
- 第5章 実務界での導入動向の再認識
- 第6章 学界での論点の再認識(1)
- 第7章 学界での論点の再認識(2)
- 第8章 学界での論点の再認識(3)
- 第Ⅳ部 伝統的コストマネジメントの発展
- 第9章 「原価計算基準」をめぐる議論
- 第10章 「コスト・マネジメント」の答申をめぐる議論
- 第11章 基準後の直接原価計算をめぐる議論
- 第12章 原価計算の適用領域の拡大
- 第Ⅴ部 わが国での戦略的コストマネジメントの素地形成
- 第13章 原価企画の関連ツールとしてのVEの影響
- 第14章 品質原価計算の導入をめぐる議論
- 第15章 ABCの導入をめぐる議論
- 第Ⅵ部 まとめ
- 終章 現代および今後の原価計算の導入と発展に向けて
各章の概要
第1部はこの本の説明とか概要が書かれているだけなので割愛します。
第2部 前史ー戦前・戦中の原価計算の動向
第3章 原価管理思考の萌芽(1)(1890年代後半-1926年)
『三菱電機神戸製作所における標準原価計算の導入と発展』
日本の学界・実務界において、標準原価計算の議論が最も活発に行われたのは戦後の1950年代のことである。しかし、そもそも戦後の標準原価計算の導入ついては、戦前の標準原価計算をめぐる実務動向の延長線上にある。そのため、その戦前の標準原価計算の取り組みについて、戦前の日本で最も早い標準原価計算の導入事例の1つである三菱電機株式会社神戸製作所における標準原価計算の導入とその後の適応について考察する。
第4章 原価管理思考の萌芽(2)
『原価計算と原単位計算』
前章にて述べた戦後の標準原価計算の導入にまで至る実務動向に関して、「戦中に育まれた原価計算・原価管理の下地」とは具体的にどのようなものであったか、どういった経緯でそれは形成されたものか。この疑問について、戦中に制定された『製造工業原価計算要綱』をはじめとしたいくつかの制度の果たした役割について考察することで解明していく。
第Ⅲ部 戦後の標準原価計算の動向をめぐる諸論点
第5章 実務界での導入動向の再認識
戦後の標準原価計算の導入に当たっては、会計学者のみならず、実務家が少なからざる役割を果たした。本章では、そのような実務界が主導したさまざまな活動について、組織ごとにその動向を調査する。
第6章 学界での論点の再認識(1)
『二つの標準原価計算論(松本・山邊論争)』
概要:1949年に「標準原価計算」という表題で、2冊の著書がそれぞれ松本雅男、山邊六郎という別々の著者から刊行された。両著書は外来の原価計算システムである標準原価計算を我が国に紹介した点では共通しているが、松本は当座標準原価計算を支持している一方、山邊は基準標準原価計算を支持しているという点で対立していた。そのため、それを巡って激しい論争が起きた。この論争の調査を通じて、実務界に対する原価計算・管理会計学者の在り方について考察する。
第7章 学界での論点の再認識(2)
『二元的標準原価と予算の関係(中山・溝口論争)』
1960年に中山隆佑(日本電気)は3本の論文を公表した。これらの論稿は、従来日本の学界において通説とされていた「製品別の標準原価の積み上げの上に予算が組み立てられる」という考え方を真っ向から否定したものであった。これに端を発し、中山と溝口一郎を中心として標準原価計算と予算との関係についての論争(中山・溝口論争)が行われた。本章では、この論争の調査を通じて、予算と標準原価の関係についての議論を整理するとともに、日本における原価計算の導入と発展を探るためのインプリケーションを明らかにする。
第8章 学界での論点の再認識(3)
『直接原価計算』
1960年代初頭、アメリカでは標準原価計算と直接原価計算を結合させる研究が発表された。一方で、日本では1950年代から既に直接原価計算の導入が始まっており、アメリカとは異なる発展を遂げていた。ここで、直接原価計算と原価管理の関係について行われた議論が、アメリカと同種のものであったのか、それとも日本特有の議論があったのかを文献を通じて事実確認を行う。
第Ⅳ部 伝統的コストマネジメントの発展
第9章 「原価計算基準」をめぐる議論
『実務家の積極的な役割』
日本では1962年に「原価計算基準」が公表された。そしてそれ以降、「原価計算基準」に関連する多くの議論が展開されてきた。また、その後1980年に実務家が中心となって「経営原価計算実施要綱(中間報告)」が別で発表された。そこには、研究者と実務家の間に方向性のギャップが生じていた可能性がある。このような背景の下で、「原価計算基準」をめぐり研究者や実務家によってどのような議論が行われたのかを整理し、各々の果たした役割について考察する。
第10章 「コスト・マネジメント」の答申をめぐる議論
『研究者の積極的役割』
戦後の経済復興期から高度成長期への転換期である1950年代頃から、標準原価計算や予算管理の問題を中心として管理会計手法に強い関心が抱かれるようになった。ここで、生産の基本構造や全体の生産量の改善を通じての包括的な原価管理は取り扱われなかった。
その一方で、原価管理をコントロールの局面に限定せず、より総合的に拡大して規定しようとする見解に、1966年の通産省産業構造審議会管理部会答申「コスト・マネジメントー原価引き下げの新理念とその方法」(1966年答申)がある。本章では、この1966年答申の公表に至るまでにどのような経緯があったのか、「コスト・マネジメント」という用語の由来は何か、1966年答申の公表によって実務にどのような影響があったか、などといった疑問の調査する。そして、1966年答申をめぐって、いかなる議論が行われ、原価計算の諸技法や諸概念がどのように導入・受容され、積極的に適応していったのかを回顧し、先人たちの果たした役割を明らかにする。
第11章 基準後の直接原価計算をめぐる議論
1962年に制定された「原価計算基準」では、直接原価計算については総合原価計算の規定のなかで触れられるだけに留まった。また、総合原価計算においても、直接原価計算を適用する場合には、会計年度末に固定費調整を要するとされた。つまり、直接原価計算は財務諸表を作成するための原価計算精度としては認められなかったということである。
しかし一方で、1966年答申ではコスト・マネジメントのための継続的計算制度の中核をなすものとして標準直接原価計算が取り上げられている。したがって、1960年代後半になると、直接原価計算は少なくともコスト・マネジメントの精度として推進されなければならないものという地位を得るに至ったことが分かる。
そこで本章では、1960年代を中心に、直接原価計算をめぐる学界・実務界の議論を振り返り、直接原価計算が日本にどのように受け入れられていったのかを考察する。
第12章 原価計算の適用領域の拡大
『中小企業とサービス組織』
これまでの内容の通り、日本における原価計算の導入と発展は大規模製造企業を中心としたものであった。しかし、日本の中小企業やサービス組織においても、原価計算制度の導入は促進されていた。
そこで本章では、「原価計算基準」制定前後においての中小企業やサービス組織の原価計算にはどのような議論があったのか、その中で特徴的なものは何か、そこでは実務家や研究者がどのように役割を果たしのかを文献から整理する。
第Ⅴ部 わが国での戦略的コストマネジメントの素地形成
第13章 原価企画の関連ツールとしてのVEの影響
1966年答申では、コスト・マネジメントのための手法の1つとして価値分析(Value AnalysisあるいはValue Engineering、以下VE)が紹介されていた。VEは原価企画の源流とされるもので、日本的な原価管理実践の生成を解明する上でカギとなる手法の1つである。
そこで本章では、アメリカから日本へVEはどのように導入されたのか、アメリカから導入しようとしたVEはどのようなものであったか、1950~1960年代にかけて実際に日本に導入されたVEはどのようなものであったかを文献から調査する。
第14章 品質原価計算の導入をめぐる議論
日本における品質原価計算は、アメリカから伝来したものである。しかし、品質原価計算は、伝来した当初は日本企業に定着せず、1990年代以降になって注目されるに至っている。日本でも経営者の品質コスト情報へのニーズは昔から存在した一方で、品質原価計算が定着しなかったというのは興味深い論点である。
そこで本章では、日本において品質コストが定着しない理由に触れている論文を取り上げ、上記の論点について探ると共に、品質コストならびに品質原価計算の導入に学界と実務界が果たした役割を解明する。
第15章 ABCの導入をめぐる議論
戦前・戦後を通じて海外の経営手法を学び、自国の環境に適応させることで培われた日本企業の経営手法は、1980年代後半になると「日本的経営」とよばれて世界から注目され、研究されるほどに成熟したものとなっていた。そのような時代に活動基準原価計算(ABC)が日本に紹介されたが、当初はABCに対する実務界の反応は冷淡なものであったようである。
しかし、日本の研究者はABCの「活動」という単位に原価を集計するという、伝統的原価計算とは異なる切り口に理論的発展の可能性を見出して積極的に議論を展開していった。
そこで本章では、ABCおよび活動基準管理(ABM)を巡って学界で行われてきた議論は一体何であったのか、実務に対して何も貢献するところはなかったのかを、文献の整理を通じて考察する。
第Ⅵ部 まとめ
終章 現代および今後の原価計算の導入と発展に向けて
これまでの章では、外来の原価計算が日本に導入され発展したプロセスの中で行われた議論を文献から示し、そしてそこにおける当時の研究者と実務家が果たした役割を再認識した。
そこで本章では、これまでの章における研究者と実務家の役割の再認識、実務からの役割期待の把握、理論構築推進者としての研究者を支える実務家の役割を整理するとともに、今後の原価計算の導入と発展にむけたまとめを行う。